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DOCTOR HISTORY

ドクターヒストリー

この記事では、理事長 大森洋介の人柄や医師としての価値観、創業ヒストリーなどにスポットを当てて
インタビュー形式でご紹介します。

大阪大学と愛着ある大阪で地域貢献に対する想い

大森洋介の人生のターニングポイントとはどこでしょうか?
やっぱり大学生くらいからの話になりますかね。
いわゆる日本の受験戦争の中で中学校から受験をしましたが、そのなかで大学受験をどこにするのは1つのターニングポイントだったと思います。

大阪大学への進学を決めた理由は?
大阪に愛着があったし、東大や京大のように阪大は全国区ではないけれど、
より地域に根ざした大阪大学のほうが、大阪の中での働き方がイメージしやすかったです。
周囲からは目指すのならば、東大や京大を目指せとも言われましたが、
医師としてこの先のステップを考えたときに、大阪で地域医療をしたいという思いがありました。

大阪大学の強みは僻地医療のような医師が少ない地域での活動ではなく、
北摂地域のような医療資源がある程度潤沢な環境で良い医療を提供するという、
僻地医療とはまた違うスタイルだと考えています。
そのような環境下で地域医療の新たなロールモデルをチャレンジできるのかなと。
あとは地域で働くうえで、どこで働いても同窓生や知り合いの先生がいることは、アドバンテージだと感じています。

大阪大学に入る前からそのようなイメージを持たれていたのですか?
そこのところは後付のところが大きいですね。
ただ、イメージとして大阪の地域に貢献したいという考えは持っていたので、
そこを考えると一番いい大学は大阪大学だと思いました。
そこから先のイメージはあまりなくて、あとは走りながら考えるという感じでしたね。
循環器内科を選ぶときもそんな考えはまだなかったと思います。

医師としての原点

循環器内科医を志した理由は?
大津欣也先生(現国立循環器病研究センター理事長)の影響が大きいです。
大津先生から「大森君は循環器内科に向いているからうちに来なさい」と言われたことが決め手になって、だったら行ってみようと。
内科や外科やいくつか見ましたが、最終的にはやっぱり大津先生からの一声に身を委ねようと思いましたね。
 
一方で今の自分の考えの基礎となったのは、
大阪警察病院時代の上司である平山篤志先生(現大阪警察病院循環器内科特別顧問)の影響が大きいです。
振り返ってみても、自分のことを色んな面でよく理解していただいていたと思います。

当時は、1年間大阪大学医学部附属病院で研修を受けた後、
2年目から大藪先生(当院と協力医療機関であるおおやぶ内科・循環器科クリニックの院長)と一緒に大阪警察病院に異動になりました。

その時に僕はPCI(カテーテル治療)をしたいと平山先生に言ったのですが、
平山先生は、「お前はどちらかと言うとマネジメントをやるほうが向いているから、専門性に埋没するのではなくて、
これからリーダーシップを取れるためにもっと広くいろんなことを学びなさい」と仰られ意気消沈しました。
しかし振り返ると、そこが運命の分かれ道だったと思います。
今となっては先生の言葉がすごく活きているので、本当に感謝しかありません。
 
僕が平山先生から学んだことは、手技とかテクニックなどの日進月歩の世界だけではなく、
自分が与えられた環境で自分の実力を発揮して、それを楽しむということ。
当時のことを美化するわけではないですが、大阪警察病院での日々はとても充実していました。

 

帰国後から地域医療の現場へ

訪問診療を志すきっかけはなんですか?
実家のクリニックに通えなくなり、その後フォロー出来なくなった患者さんをたくさん見てこられて、
そういった患者さんを何とか最後まで継続的に診れないものかと感じたことです。

そういった問題意識は留学前から持っていたのですか?

ロンドン留学前の大阪大学大学院時代から、父が独り開業している実家クリニックでの外来診療を手伝っていたので、独り外来開業医の問題点としてこれは何とかする方法はないのかなと考えていましたね。
もともと在宅医療をやりたかったという訳ではありませんでしたが、
そういった背景から地域で困っている患者さん達を助けることはできないかと考えた手段の一つとして在宅医療を学ぶ必要を感じ、英国留学から帰国後はより在宅の現場を知るために、病院勤務ではなく訪問診療がメインのクリニックでの勤務を選択しました。

自分たちのような世代の人間が、在宅クリニック、そしてチーム医療を通じて全力で地域医療に継続的に貢献することで、社会にどのようなインパクトを与えられるのか、
ある種の社会起業家のような挑戦ですね。
地域医療のよくある分け方としての、急性期と慢性期、勤務医と開業医、外来と在宅医療といったような分け方をするのではなくて、そこはボーダーレスであるべきだと思います。
僕ら自身が地域医療の現場から新しいロールモデルを発信できれば思いますし、今後病院のベッドも足りなくなってくる社会背景のなかで、そういったことを意識しながら地域医療に取り組んでいくことも大事だと考えています。
父を含む諸先輩医師達からは、訪問診療は家に行って血圧測って薬を出しているだけだろう思われている部分もあると思います……。
けど私たちがしていることは、実は外来診療よりも重症な患者さんが対象です。
外来よりも高度な医療をやっている場合も当然あります。
今後、日本においてより充実した地域医療を進めていく上では、そういった地域の旧来の外来専門の開業医の先生たちの意識や意見を変えていくことも大切だと考えています。

今までの診療で忘れられない患者さんはいらっしゃいますか?
いっぱいおられますが、挙げるとすれば、実家のクリニックに通われていた方で、かすがいクリニックで自宅で老衰までお看取りをした患者さんがおられました。
亡くなられたその患者さんの奥さんは今でも大森クリニックの外来に来られており、その時に当時の思い出を今でも話すことがあります。
それは残された御家族のグリーフケアにもつながっていると思うし、
外来のみ、訪問のみという形ではなく、外来も訪問診療も両方やることによって良いケアにつながっていると思います。

かすがいクリニックでみていた患者さんが訪問診療を通じて良くなって、元々かかっておられたクリニックの外来へまた通い始めることができるようになった患者さんもいらっしゃいます。これを僕らは“Bridge to clinic”と呼んでますけど、こういった橋渡し的な役割を在宅医療クリニックが果たすのはとても良いことだと感じています。

かすがいクリニックの今後の展望について先生のお考えを教えてください。
医療で地域に継続的に貢献していくということが僕たちの使命であると考えています。
地域でつながりのある先生から患者さんをご紹介いただく機会が多いのですが、やっぱり困っている患者さんや外来クリニックの先生方は沢山おられるのだなと感じます。今までだとそういった方は病院に入院されたりしたケースもあったかと思うのですけど、
私たちのような在宅クリニックが介入することによって、入院せずとも在宅での生活を継続するための体制を提供でき場合があるのだろうと思います。
病院から退院してくる患者さん達だけではなく、地域の外来開業医の先生達の受け皿になるということも僕たち在宅医療クリニックの大事な使命のひとつだと思っています。
また、テクノロジーや治療方法の進歩によって心不全治療・癌の緩和医療・リハビリなどが在宅でも行える環境が整いつつあり、
将来的には在宅医療にもある程度“病院のような機能”を持たせることが出来るのではないかと予想しています。
そこから逆算して、先取りしすぎず、かつ後追いにならないよう自分たちが今どうあるべきか考えないといけません。
イメージとしては、患者さんのお宅が病院でいう病床、在宅医療クリニックである私達が医局、地域の訪問看護ステーションさんがナースステーションであり、地域の薬局が病院で言う薬剤部。
地域では従来バラバラであったこのような多事業所をテクノロジーを活用しながら、地域医療の”ワンチーム”を構築していくことが大切だし、そのチーム作りに注力して行きたいと考えています。

医師として大事にしていることや、大事にしている言葉などはありますか?
色々とあるのですが、その一つの中に、「失意泰然」「得意淡然」という言葉があります。
ショックなことがあっても必要以上に落ち込まず冷静に状況を分析・把握し、嬉しいことがあっても過度に浮つくことなく、地に足つけて平然と構えて何事にも謙虚に取り組むことを肝に銘じています。
また、地域医療はいろいろな事業所があってこそ成り立っていますので、「自他共栄」という言葉もすごく意識しています。





かすがいクリニックでは複数の医師を中心にチーム医療体制が敷かれていますが、その理由をお聞かせください。
訪問診療を行っているクリニックのなかには、一人医師の体制で診療を行っているところもあります。
ただそうなってくるとその先生がなんらかの事情で診療が行えなくなった場合などには、その医療を提供することが困難になってしまいます。
私達は医療を通じて地域を継続的に支えていくことを大切にしていますので、それには逆算的にチームで診療を行うことが必要であると考え組織づくり進めています。

例えば、当院はのような在宅医療をおこなっているクリニックは24時間365日の対応をする必要があるため、チーム体制が整っていないとスタッフが疲弊し、長期にわたって安定した在宅医療を提供することが困難になってしまいます。
そのため複数医師や複数看護師さんで役割を分担し、個々の負担を軽減することで継続的に医療を提供できることにつなげようと考えています。
これは個人的な話ですが、幼少期のころは、開業医として毎日の仕事に忙殺されていた父にどこかへ連れて行ってもらった経験が少なかったので、当院のスタッフには休みがしっかり取れて、家庭やプライベートも大事にできる職場環境を作りたいという思いがあります。
また、先ほども述べましたが今後は”在宅医療の病院化”が進むと考えられます。
このニーズに対応するためにも、現時点から複数医師によるチーム医療体制を構築しておくことが非常に大切です。


複数の先生達がそれぞれの得意分野や専門性を持っているのはクリニックにとって大きな強みですね。
在宅医療では専門外の診療を求められることも多々あります。
私でいうと専門は循環器内科ですが、それ以外の病気をもった方の診療も多く行ってきました。
ただ、一人の医師がすべての診療科を理解し、高い専門性をもって診療を行うことには無理があります。
だからこそ多様な専門性をもった複数医師体制で在宅医療に取り組むことが重要だと考えています。
現在様々な専門性を持った医師が在籍しているので、患者さん達の様々なニーズに対応できる体制も徐々に整ってきています。
将来的には、総合的に患者さんを診つつ、様々な病気を専門的にも診れるような“総合病院”のようなクリニックを目指したいと考えています。

かすがいクリニックが掲げる使命

チームで臨む在宅医療

大学院から英国留学での経験と決断

循環器内科研修から大学院へ進学された理由は?
医局の人事の影響が大きかったです。
 
当時心エコー図グループの研究リーダーだった山本一博先生(現鳥取大学医学部循環器内科教授)にお声かけ頂き、大学院で基礎研究を学びました。
坂田泰史先生(現大阪大学医学部循環器内科教授)や歳の近い先輩方に助けて頂きながら微生物学研究所に教えを請いにも行きました。
 
これまでとは全く違う環境で勉強することは非常に刺激的であった反面、
研究の合間に自身や家族の生活のために非常勤医としてアルバイトもせざるを得ないという、大学院生ならではのジレンマも経験しました。
 
博士課程終了後、一度はそのジレンマから解放されて基礎研究に専念してみたいと思い、当時King’s College London循環器内科学の教授をされていた大津先生に無理を言ってお願いしてロンドンに留学し、2年半にわたって基礎研究にどっぷり浸りました。

 

研究留学を通じてやはり臨床に戻ろうと?
やっぱり、ダイレクトに相手の反応を感じることができる臨床が好きなんでしょうね。
臨床をやっていると、良くも悪くも相手の反応がわかるじゃないですか。その違いが一番大きかったかなと思います。
なので、私は基礎研究ではなくて実地臨床医学という形で力を発揮すべき人間だと決断して、ロンドンの留学は2年半で区切りをつけました。
まぁ、実はロンドンでの生活資金が尽きたってこともあるんですけどね。

ロンドンという日本の医師資格が通じず、自分に対する他者の評価が完全にゼロベースである環境にチャレンジして得た実感としては、
生きていくだけなら世界中どこでもなんとかなるもの、ということですね。
特に日本人にありがちな「こうすべきだ、こうしなきゃいけない」という先入観や固定観念さえなければ、世の中どこでも楽しく生きていけると感じたし、
医師の人生の中で一番楽しかったのは実はロンドンでの留学時代でしたね。
すごく良い経験をさせてもらったと思っており、サポートしていただいた皆様には感謝しかありません。

その時に学んだことは、先入観なく自分たちがやりたいことやるべきことをちゃんとやる、主張するといったように、
必要と感じるのであればなんとかそれを実現させるように行動することですね。
​イギリス流のやり方を全部真似するというわけではないですけど、そこでの学びは今の自分にとても活かされています。

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